JAL女子王座決定戦競走のまとめ情報

JAL女子王座決定戦競走』by Google Ads

            

JAL女子王座決定戦競走』の解説

JAL女子王座決定戦競走(ジャルじょしおうざけっていせんきょうそう)とは、女性競艇選手を対象とした、日本競艇GI競走である。毎年3月最初の週に、6日間に渡って開催される。

概要

出場者を女子選手に限定して開催する競艇の競走としては最高峰に位置するもので、文字通りその年の競艇女子選手の頂点を決定する競走である。

女子王座決定戦や女子リーグ戦の他に、一般競走においても女子選手だけで行なわれる競走がある。

なお、本稿では最後に、女子競艇選手の歴史や競艇の女子リーグ戦についても記述を付した。

歴史

それまでの女子選手への人気の高まりを受けて、女子選手の新たな目標とするべく、一般競走として「女子王座決定戦競走」が設けられることとなった。各地での予選リーグを経て、1987年昭和62年)12月3日から12月8日まで、浜名湖競艇場において日本航空の協賛を得て「87 JAL クィーンズカップ争奪 第1回女子王座決定戦」として開催された。

1989年平成元年)の第2回からは現在に至るまで、3月最初週(場合によっては月をまたいで、2月最終盤から始まることもある)、すなわち、雛祭り(桃の節句)の前後に開催するのが、恒例となっている。

1988年4月1日から競艇にグレード制が導入されて、1989年3月の第2回大会以降第12回まで、GII格付けであった。2000年の第13回丸亀大会より、GIとして実施されるとともに、優勝者には当該年度の総理大臣杯競走への優先出場権利が与えられることとなった。

出場資格

  • 優先出場
    • 前年度優勝選手
    • 本年度、登録16年未満の女子選手で競われた「女子リーグ戦」各戦の優勝選手(優先出場)。
  • 選考期間(前年1月1日から12月31日)内に、100回以上の出走回数があり、事故率0.40未満で、勝率が上位の選手。
※女子リーグ戦の出場有無や級別は問わない。(女子選手であれば永遠に出場できる。)
  • 選出除外
    • 選考期間内の出走回数100回未満の選手。
    • 選考期間内の事故率0.40以上の選手。(上の2例は優先出場選手は免除)
    • GI斡旋停止期間が女子王座に重なる場合。
    • SG競走と同様、選考期間から女子王座前検日までに出場停止処分を受けた選手。(一部を除く)これは、出場が決まっていても取り消しの対象になる。

本競走の優勝者には、冠スポンサーであるJAL(日本航空)から、世界の好きな都市へのエグゼクティブクラス往復航空券が贈られる。さらに次年度の本競走および当該年度の総理大臣杯競走への優先出場権利が与えられる。

開催予定

ビデオグラムソフト

競艇女子選手の歴史

競艇競艇選手の歴史をも概括しつつ、競艇女子選手の歴史をまとめた。
選手について、敬称は省略。選手級別審査決定基準について、詳細な点数規定の変更は省略。
最新の状況については、競艇選手などを参照のこと。
  • 1951年昭和26年)8月  独自の選手養成所として「琵琶湖国際モーターボート選手審判員養成所」「大村選手養成所」が開設
  • 1952年(昭和27年)3月  社団法人全国モーターボート競走会連合会(以下、「連合会」)が選手登録試験を実施、最初の競艇選手が選手登録
  • 1952年(昭和27年)4月6日  大村競艇場にて全国初の競艇が開催
    • 最初の競艇女子選手は、則次千恵子(選手登録番号78、1952年5月1日付けで登録。1932年12月15日生まれ)
  • 1953年(昭和28年)11月 第1回全日本選手権競走に、則次千恵子、渕崎栄子、中村弘子の3選手が出場。
  • 1953年(昭和28年)12月 全日本モーターボート選手会連合会(事務局・大阪)結成
  • 1954年(昭和29年)7月1日 選手級別決定基準実施(A級・B級・C級)
  • 1954年(昭和29年)3月2日 芦屋競艇場にて競艇初のオール女子レース開催
  • 1954年(昭和29年)8月21日 大村競艇場にて全国初の「オール女子ダービー戦」が開催
  • 1956年(昭和31年)4月  全日本モーターボート選手会連合会(事務局・大阪)解散
  • 1956年(昭和31年)10月 琵琶湖国際モーターボート選手審判員養成所閉鎖
  • 1957年(昭和32年)1月  選手養成年齢制限が「16歳以上26歳未満」となる
  • 1957年(昭和32年)1月  全日本モーターボート選手会連合会(事務局・東京)再結成
  • 1957年(昭和32年)2月  連合会、選手養成を多摩川競艇場で開始。1期間2ヶ月間。
  • 1957年(昭和32年)11月 選手級別審査に勝率制度(着順点制度)を採用実施
  • 1959年(昭和34年)2月  選手養成年齢制限が「17歳以上25歳未満」となる(従来は、16歳以上26歳未満)
  • 1960年(昭和35年)10月 社団法人日本モーターボート選手会、設立認可・発足
  • 1960年(昭和35年)11月 第7回全日本選手権競走で、佐竹文子(1288)が準優勝戦進出。
  • 1962年(昭和37年)12月 選手養成年齢制限が「16歳以上25歳未満」となる(従来は、17歳以上25歳未満)
  • 1965年(昭和40年)4月  選手養成期間が5ヶ月間となる(従来は、2ヶ月間)
  • 1966年(昭和41年)4月  選手養成年齢制限が「18歳以上25歳未満」となる(従来は、16歳以上25歳未満)
  • 1966年(昭和41年)11月 連合会、選手・審判員・検査員などの養成や各種訓練を行なう常設の専用施設として、「本栖厚生施設水上スポーツセンター(本栖研修所)」開設(山梨県本栖湖畔)。
  • 1967年(昭和42年)8月  「紅の水会」発足(現役女子選手・引退女子選手の相互親睦)
  • 1970年(昭和45年)4月  選手の養成期間が1年間となる(従来は、5ヶ月間)
  • 1973年(昭和48年)9月  本栖研修所にて、初の養成訓練修了記念競走実施(第36期) ⇒ 本栖チャンプ
  • 1979年(昭和54年)4月  第46期選手養成員として田中弓子(2945、後に鈴木姓)が、本栖研修所に入所。女子の選手養成員は、9年ぶりであった。
  • 1980年(昭和55年)4月  女子選手の定期養成が再開。第48期選手養成員として女子15名(男子20名)が本栖研修所に入所、女子選手が大量に養成される始まりとなる。
  • 1981年(昭和56年)6月 4日 住之江競艇場にて、「ささゆり賞」開催。21年ぶりのクイーン決定戦となった(男子28名・女子14名による男女別レース・ダブル優勝戦)。
  • 1982年(昭和57年)5月  選手級別決定基準の変更を実施。A級・B級は定員制とする、など。
  • 1983年(昭和58年)3月  第52期選手養成訓練修了記念競走にて、石原加絵(3098)が女子初の優勝 ⇒ 本栖チャンプ
  • 1983年(昭和58年)8月12日 住之江競艇場にて「全日本女子選手権大阪大会」(レディスカップ)を開催。優勝は服部恭子(3093)。競艇での女子選手だけの競走は、23年ぶりであった。
  • 1983年(昭和58年)9月  外国人女子選手の募集を開始
  • 1983年(昭和58年)10月 選手養成年齢制限が「18歳以上23歳未満」となる(従来は、18歳以上25歳未満)
  • 1987年(昭和62年)12月3日 浜名湖競艇場にて、第1回JAL女子王座決定戦競走開催
  • 1988年(昭和63年)9月  選手養成員の体重制限が、男子・47kg以上55kg以下、女子・42kg以上50kg以下、となる(第66期から)。
  • 1988年(昭和63年)5月  選手級別決定基準の変更を実施。A級・B級の選手数を定率制(従来は、定員制)とする、など。
  • 1988年(昭和63年)11月 選手の最低体重規定を新設実施(男子50kg、女子45kg)
  • 1991年平成3年)9月  選手養成訓練を1年2ヶ月間に延長(従来は、1年)。選手養成員の体格制限について、身長170cm以下(従来165cm以下)、女子の体重が42kg以上50kg以下(従来42kg以上55kg以下)、視力0.8以上(従来1.0以上)となる(第72期選手養成訓練から実施)。
  • 1995年(平成7年)1月1日 選手級別決定基準の変更を実施。A1級・A2級・B1級・B2級の4区分体制となる。
  • 1996年(平成8年)7月20日 「競艇オフィシャルWeb」オープン。インターネットWebサイト開設は、公営競技としては初めて。
  • 1996年(平成8年)8月  選手養成年齢制限が「17歳以上21歳未満」となる(従来は、17歳以上23歳未満)(第82期から)
  • 1997年(平成9年)7月 競艇選手のヘルメットについて、「フルフェイス」形となり同時に選手個人の管理に任されることとなる(それまでは「ジェット」形であり各競艇場が管理)。
  • 1997年(平成9年)9月28日 鵜飼菜穂子(2983)が福岡競艇場第10レースにて通算1,000勝を達成
  • 1999年(平成11年)2月21日 鳴門競艇場で開催された、第42回四国地区選手権において、山川美由紀(3232)が優勝。女子選手のGI競走優勝は、42年ぶり。
  • 2000年(平成12年)2月29日 第13回JAL女子王座決定戦競走が開催。この回から、GIでの競走となる。
  • 2000年(平成12年)4月15日 山川美由紀(3232)が通算1,000勝を達成
  • 2001年(平成13年)4月  「やまと競艇学校」開設(福岡県大和町
  • 2001年(平成13年)6月24日 唐津競艇場で開催された、第11回グランドチャンピオン決定戦競走において、寺田千恵(3435)が優勝戦へ進出。女子選手のSG競走での優出は、史上初。
  • 2002年(平成14年)2月  本栖研修所閉鎖
  • 2002年(平成14年)3月28日 安藤大将(3145)が、自身の性同一性障害男性への性別変更を記者会見で公表。引き続き競艇男子選手として活動(2005年9月8日選手登録削除、引退)。
  • 2002年(平成14年)10月5日 日高逸子(3188)が唐津競艇場第8レースにて通算1,000勝を達成
  • 2003年(平成15年)5月  選手の最低体重規定を変更実施。女子選手の最低体重が47kgとなる(従来は、女子45kg)。
  • 2003年(平成15年)5月24日 木村厚子(3196)が津競艇場にて事故死 。
  • 2005年(平成17年)10月29日 谷川里江(3302)が蒲郡競艇場第3レースにて通算1,000勝を達成
  • 2006年(平成18年)3月21日 第41回総理大臣杯競走(平和島競艇場)において、横西奏恵(3774)が女子選手2回目のSG優出。
  • 2007年(平成19年)3月27日 佐藤幸子(3140)が下関競艇場第8レースにて通算1,000勝を達成
  • 2007年(平成19年)4月26日 山川美由紀(3232)が丸亀競艇場第12レースにて通算1,500勝を達成
  • 2007年(平成19年)6月14日 角ひとみ3334)が三国競艇場第12レースにて通算1,000勝を達成
  • 2008年(平成20年)3月8日 寺田千恵3435)が津競艇場第11レースにて通算1,000勝を達成
  • 2008年(平成20年)競艇名人戦競走に女子選手が初めて出場した。
  • 2009年(平成21年)12月14日 鵜飼菜穂子(2983)が丸亀競艇場第3レースにて通算1500勝達成。
  • 2010年(平成22年)1月16日 海野ゆかり3618)が若松競艇場第11レースにて通算1000勝達成。

女子リーグ戦競走

女子リーグ戦競走(じょしリーグせんきょうそう)とは、女子選手のみによって争われる、競艇競走リーグ戦である。グレードは、GIII競走。毎年全国各地の競艇場(一部開催しない競艇場もある)で、年間十数回開催される。開催期間は概ね、4月から12月にかけて。出場資格は、選手登録16年未満の女子選手。女子リーグ戦競走優勝者には、翌年3月に開催される女子王座決定戦競走の優先出場権利が与えられる。このため、女子王座決定戦競走の予選の意味合いを持つ。

(女子王座決定戦の予選ではないが、一般戦に、オール女子戦というレースがある。)

脚註

女子王座決定戦

  • 第19回JAL女子王座決定戦
  • 第20回JAL女子王座決定戦 

その他

  • 競艇ヒロイン・ストーリー http://www.kyotei.or.jp/dik/who/heroin/index.html
  • オッズ・出走表・結果情報 http://www.kyotei.or.jp/dik/RACE/main.html(「モーターボートファン手帳」データ 2001年後期版 - 2005年前期版)
  • 選手期別成績ダウンロード(「モーターボートファン手帳」データ 2002年前期 - )

Category:競艇の競走

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