■ 『狭山池 (大阪府)』の解説
狭山池(さやまいけ)とは、大阪府大阪狭山市にある日本最古のダム式ため池である。
7世紀前半(616年か?)に築造されたとされ、『古事記』・『日本書紀』にもその名が記されている。各時代で幾度となく改修が重ねられ、近年のダム工事(平成の大改修)でダム化するとともに、池の周囲は公園として整備された。また、以前の狭山池の保存と公開を目的とした大阪府立狭山池博物館が池の北側に2001年に開館した。
概要・歴史
- 河内国の南部はもともと水源に乏しく、農作物を育てるための水の確保に苦労していたが、飛鳥時代に当時の大和朝廷により、灌漑(かんがい)目的で狭山にて川の流れを堰き止め、下流地域に用水路を作り、平均的に水を確保できるようにされた。宝永元年(1704年)の大和川の付け替えまで、現在の大阪市域まで(80か村、約55,000石)をも灌漑。
- 樋や堤体の構造は1988年に詳しく調査され、東樋の年輪年代測定結果から、7世紀前半につくられた日本最古のため池であることがわかる。また堤体の盛り土が幾層にも積まれ、その1部に植物層を含む層があることが判明し中国や朝鮮から伝わった敷葉工法(しきはこうほう/葉のついた枝を土留めに使う工法)が用いられていることがわかった。
- 『日本書紀』の記述―崇神天皇62年7月2日の条
- 『古事記』の記述―垂仁天皇の段
- 「印色入日子命(編者注;垂仁天皇の皇子)、血沼池又狭山池を作る」
- 『枕草子』に狭山池についての記述がある。
- 江戸時代、池のそばに北条氏が治める狭山藩の陣屋が置かれる。
- 1952年(昭和27年)からボートレース開催(狭山競走場)。1955年(昭和30年)閉鎖。翌年、住之江競艇場に移る。
改修の歴史
接続する河川
※西除川の狭山池より上流部分は「天野川(あまのがわ)」とも呼ばれる。
■ 『狭山池』に 関連する人気アイテム
自然で女の子受けのいい服を集めました | ||
勝負服、持ってますか?[PR]
今女の子と飲んでるんだけど来ない?週末合コンどう? アナタは突然の誘いにどんな服を着ていきますか?
こういうときにはは女の子目線で選んだコーディネートが一番。 今なら 10,500円 以上で送料無料。 |
||
コンテンツ提供: Amazon.co.jpアソシエイト
